こんにちは、石井です。
9月が終わり、10月に突入しますね。
秋は、美味しいものが多く、紅葉も綺麗で、1年の中でとても好きな季節です。
今日は下記の御言葉についてご紹介します。
敵を愛しなさい
キリスト教は愛の宗教です。
神様は、我々人間の罪を贖うために、独り子であるイエス・キリストを十字架の死に引き渡されました。
人間の罪がイエス・キリストの十字架の死によって、赦されたのです。
それほどに罪深い我々を神様は愛してくださったのです。
神様は、隣人を愛しなさいと言われております。それはさらに自分を迫害するもの、まさに敵をも愛しなさいと命じられているのです。
マタイによる福音書5章43-48節
43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
学校や会社などでは、自分と仲がいい人もいれば、そうでない人もいると思います。
わたしも、嫌いな人はいました。
教会で、「自分を迫害する人のために祈りなさい」という御言葉を初めて聞いたとき、「それは無理だ」と思いました。
なぜ、あんな人のために、神様に祈らないといけないのか、とても理解できないと思いました。
だけれども、神様は罪深い我々を愛してくださったのです。
レビ記19章18節
18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
レビ記にも、復習してはならない、隣人を愛しなさいと書かれています。
隣人とは、自分の仲間だけでなく、迫害し、いじめ、不利益を与える人のことも愛しなさいと言われているのです。
わたしは、もちろん苦手な人はいますし、その人のことを好きになれる自信はありません。
しかし、神様を信じて、祈ってみようという気持ちにはなれました。
祈りの時、常に神様がそばにいて下さって、私の苦しい気持ちをいやしてくださり、隣人のために心から祈ることのできる力を与えてくれると信じています。
これからは少しずつ祈っていこうと思います。
東京に出てきて18年目の44歳です。食べ歩きとカメラに興味があります。
仕事は都内の翻訳・ウェブ制作会社で働いています。
キリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けクリスチャンとなりました。
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