予定論について

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こんにちは、石井です。

今日は教会で始まったBIBLE TIMEという聖書の学びの中で、22日の主日の内容についてまとめたいと思います。

救いの予定(選び)について

予定論について

  1. 救われる人は救われる、救われない人は救われない
  2. あらかじめ選ばれるのであれば、伝道は何の意味があるのか

予定論は、カルヴァン(フランスの神学者)が唱えた「神様の救いにあずかる者と滅びに至る者があらかじめ決められている」とする説が有名ですが、神様があらかじめ救われる人、そうでない人が決められているは本当にそうなのか、もしそうであるならば、キリストがおっしゃった福音を世に伝える伝道は何の意味があるのか。

こんなことを学びました。とても深い内容ですし、さわりの部分しかやっていないのですが、私にとってはとても興味深かったです。

救われる人は救われる、救われない人は救われない

カルヴァンが生きていた16世紀は、平均寿命が25~30歳くらいと言われています。
従って、常に死と隣り合わせの生活を送っていたと考えられます。

当時のヨーロッパはキリスト教がですが、罪を告白しないと、天国へ行くことができないという考えが主流でした。

宗教改革で有名なルターも、罪を告白しないといけないということに執着していたそうです。

しかし現代の考えは、神様を信じ受け入れれば、救われます。また途中で取り消されるようなことはありません。

予定の教理についての誤解と非難は、聖書が語るところより先にまで、人間の気侭な推論を広げてしまうところに端を発しています。これも神に禁じられた木からその実を取った人間の理性が、いかに神からの独立を求めるように堕落しているかということの現われでしょう。(神を愛するための神学講座)

この予定論は昔から議論があったようで、それは、上記にもあるように、聖書に記されていない部分について、人間が推論していることが大きいのだと思います。

申命記7章6-8節

6 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
7 主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
8 ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。

神様が最初に選ばれた民はイスラエルでした。
その理由は、上記の聖書の御言葉にもあるとおり、どの民族よりも貧弱だったからです。
これが神様が最初にイスラエルを選んだ理由です。

もし力がある民族が選ばれていたとしたら、それは神様の導きや恵みではなく、自分たちのちからだと思われてしまったかもしれない。

しかしイスラエルのような貧弱な民族が、ヨシュア記や民数記で書かれているような戦いに勝った理由は、神様の導き以外にないと確信できる。

創世記12章2-3節

2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

祝福の源となるようにというのは、アブラハムの周りにいる多くの人々が祝福されることです。地上の全ての民族は、アブラハムによって祝福されると聖書は語っています。

選びというのは、他者のための選びとなります。

  1. 祝福の源、その人の言葉や行いによって、神様を見ることができる。
  2. 悪循環を断ち切る。例えば、親が罪を犯した場合、子供も罪を犯すことがある。このような悪循環を断ち切ること。

予定論とは本来、救われたけど、取り消されるかもしれないと毎日ビクビクしながら生活するのではなく、救いは取り消されないから、救いに対する確認をもって、毎日楽しく平安な毎日を送ろうという喜びと希望のある教えだったのです。

聖書では、神様を信じ受け入れると救われると語っています。
また、私は選ばれていないという人は、「求めなさい。そうすれば、与えられます。」と聖書で約束されているように、神様を信じ受け入れれば、救いは約束されています。

あらかじめ予定があるならば、伝道は意味があるのか

神様は、人間通りの関係改善を願っておられます。
世の中では、他者との間では、利害関係があり、下心があったり、思惑があったり、嫉妬があったりと、純粋な関係を気づけていません。

もっとも純粋な人間関係の改善は福音をつたえること

相手が、神様の福音を知っているかどうか、知らなければ、福音を伝えることが、とても重要です。そこにはなにも見返りがありません。

自らが信じている神様を相手の人にも知って欲しいという想いです。
神様がすべての人間に、私が神であると告げるのではなく、人間が人間に伝えるということを重視されたのです。

ここに大きな意味があるんだと思います。

神学の学びも非常に興味深いです。
次の主日も楽しみです。


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