こんにちは、石井です。
仕事をしながら、夜中にブログを更新しています。
この仕事が終われば、12月3日はクリスマスライブが教会で行われます。
礼拝のメッセージも楽しみです。
先週の主日の聖書の学びで聖化について学びましたので、共有したいと思います。
聖化とは
キリストを信じる者が、この世で神様から受ける祝福は、①義とされること、②子とされること、③聖とされることの3つがあります。
1つ目の義とされるとは、下記の記事でも学びましたが、神様との契約において正しいものということです。罪を犯した人間ですが、神様の福音を受け入れ、義とされるのです。
この義として認められる義認があり、その後聖化があります。
聖化は、その言葉通り、聖霊によって、聖くなることです。常に聖書の御言葉にしたがって行動し、神様の似姿になることです。
今回の学びでは、そのバランスが大切だということを学びました。
義認を強調する
自分はキリストの福音を受け入れて、クリスチャンになり、神様に認められたんだ、義とされたんだということで、極端に言うと、あとは天国に行くまで何もしなくてもよい、ただ待てばよいのだという考えに陥ることがあるということです。
聖化を強調する
自分は聖霊によって正しい行動をしている、すなわち自分は正しいのだという考えとなり、他人の悪い部分ばかりを見てしまいます。
そうなると、教会においてみんなで礼拝を捧げようとしても、他人の悪い部分や出来ていない部分ばかりが目に留まり、結局協同体から分離され、自分ひとりだけの世界に入ってしまうことがあると言います。
義認と聖化のバランスが大切
義認と聖化のどちらかに偏っても、結局そのリバウンドが来てしまいます。したがって、バランスが非常に大切です。
神様の福音を受け入れ、クリスチャンとなり、神様から義として認められ、聖霊の力によって、聖化するということは、神様のご計画に入っています。
従って、私たちは最終的には必ず聖化します。
ヨハネによる福音書16章33節
33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
この世では様々な苦しみがあり、クリスチャンになったことで、さらに苦しみが増えることもあります。
しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っていると神様はおっしゃってくださいます。
神様のご計画の中で我々は生きていること、そしてその先には勝利が待っていることを肝に銘じて、信仰生活を歩んでいきたいと思います。
東京に出てきて18年目の44歳です。食べ歩きとカメラに興味があります。
仕事は都内の翻訳・ウェブ制作会社で働いています。
キリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けクリスチャンとなりました。
好きな聖書の御言葉:コリント信徒への手紙Ⅰ 10章13節