こんにちは、石井です。
先週の主日は、2週間ぶりでしたので、恵まれました。
クリスチャンではない時は、毎週教会に行くことについて、大変そうだなとか休めないから嫌だなあと思っていたけれども、クリスチャンになり、教会へ行くことがうれしいと思えるなんて、不思議だなと思います。
やはり神様のおかげですね。
ひさしぶりに教会で聖書勉強に参加しました。
聖化
ローマの信徒への手紙7章1節から5節
1 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。
2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。
3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。
4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。
5 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。
6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
クリスチャンになり、聖書を学んでいくと、〇〇してはならないという教えも学びます。
毎日の生活の中で、この教えを破って罪を犯すことが多く、罪悪感を感じていました。
律法の中で生きるとは、まさにこういうことなんだと思います。
しかし、クリスチャンは恵みがあふれ、神様に感謝する生活を送るべきです。
イエス・キリストによって罪が贖われ、恵みによって義認されました。
義認とは、神様との関係において、正しい状態のことを言います。
神様の似姿に近づいていく聖化においても、私たちの中に宿っている聖霊の働きにより成し遂げられます。
この喜びをもっと感じないといけません。
聖化の手段
聖化の手段として用いられるのは、御言葉、祈り、聖礼典と外部からの試練となります。
試練に直面すると、人は神様へ祈り、聖書の御言葉によって、なぜ神様はこのような試練を私に与えているのか、神様の御心を理解しようと求めます。
御言葉は私たちが犯した罪について、悔い改めを促し、慰めを与えます。
私達の苦難は、神様の摂理から出たことです。苦難を通して神様求める心を育み、成長されるのです。
マタイによる福音書5章41節
41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
ローマ帝国の兵士には、属州民に対し1ミリオン程の距離を、強制的に荷物を運ばせる権利があった。* 1ミリオンは歩幅で1,000歩。
これはとても屈辱的なことでした。しかし聖書では1ミリオン行くよう命令されたら、2ミリオン行きなさいと書かれています。
これは、1ミリオン行くのは、ローマ帝国の兵士に命令されて、屈辱的でいやいや従っている状態にありますが、2ミリオン行くときは、御言葉に従って自発的に行くわけなので、もはや命令されて屈辱的な状態にはないということです。
これが霊の法則で生きるということなのです。
今苦難に直面している人は多くいると思いますし、私自身もそうであります。
しかし、この苦難に対して、神様に祈り、御言葉に従い、自発的な行動によって克服すれば、神様の恵みが待っています。
とても勇気が出る神様の恵みを学ぶことができて、感謝でした。
追伸
毎年、仕事でベルギーへ行っていたのですが、今年は抱えている仕事が忙しいとの理由で、別の担当が行くことになってしまいました。
食べ物は美味しいし、チョコレートはいっぱいあるし、ちょっと足を延ばせば、フランスまでは電車でも行けるので、楽しみにしていたのですが、なかなかうまくいかないですね。
とても残念です…。
来年こそは行けるように、計画的に仕事をしたいですね!
東京に出てきて18年目の44歳です。食べ歩きとカメラに興味があります。
仕事は都内の翻訳・ウェブ制作会社で働いています。
キリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けクリスチャンとなりました。
好きな聖書の御言葉:コリント信徒への手紙Ⅰ 10章13節