信仰の強さについて

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こんにちは、石井です。

今日は主日なので、教会で礼拝を捧げてきました。

クリスチャンになる前は、毎週日曜日に教会へ行って礼拝に参加するって大変だし、せっかくの休みが潰れるので、嫌だなと思っていました。

しかし、洗礼を受けて、聖書勉強やいろんな人との交わりを通して、教会が楽しみになっていました。

今日も礼拝に参加できて感謝でした。

帰りに新宿のやよい軒でカキフライを頂きました。
なかなか美味しかったですよ!

明日は教会のリトリートで山梨の山中湖周辺に行きます。楽しみ!

マタイによる福音書15章21節から28節

21イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。 22すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。 23しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」 24イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。 25しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。 26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」 28そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

ティルスとシドンという異邦人の住む町へ来たイエスはカナン人の女に出会います。
カナン人もユダヤ人から見ると異邦人であり、救いからは遠い存在だと思われていました。

そのカナン人の女がこんなことを叫んだのです。

「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」

しかしイエスは何もお答えにならなかったのです。
なぜこれほど必死に訴えているのに、何も答えにならないのか。

弟子たちは、イエスにこう言った。

「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」

するとイエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。

これほど絶望はないと思います。異邦人であるじぶんのところにイエスは使わされていないということを言われるのです。
こんなことをもし言われてしまったら、信仰をなくしてしまいます。
自分のところには来ていなくて、救いもない訳ですから…。

しかし、カナンの女はさらに「主よ、どうかお助けください」とお願いします。

イエスから帰ってきた言葉は、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」でした。

こんなことを聞くのであれば、まだ沈黙の方が良かったかもしれません。
それであれば、まだ希望を持つことが出来るのですから。

なぜイエスはこのようなことを言うのか。
そこには理由があったのです。

イエスは全てご存知です。カナンの女の信仰を試すことをしているが、イエスはたしかな信仰を持っていることをご存じだったのです。

女は「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」とイエスに言い、救いに値するような存在ではないことを認めつつも、ただ恵みの為に祈ることが出来るカナンの女の信仰の強さを目にして、イエスは最後に、

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」

とおっしゃって、女の娘の病は癒されたのです。

自分がとても良いことを行ったということや聖書を毎日読み、教会にも通っているからということでもないのです。
人間は罪びとで、クリスチャンとして信仰生活を送っていても、罪を犯してしまいます。

そんな我々が救いをいただけるのは、ただ神の恵みによるのです。

また、日々祈りを捧げていても、なかなかその願いが叶えられないこともあります。
そこには神様の考えがあり、計画があるのです。

私達は、カナンの女のようにただ主の前で祈り、決して驕り高ぶったりしてはいけません。


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