傲慢な考え方

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こんにちは、石井です。

先日礼拝で「ハッ」っとしたことを書きたいと思います。

仕事でも、教会でも、自分の仕事があり、一生懸命取り組んだりするけど、すべてが報われることはなかなかないですよね。
こんなに頑張ったのに、こんなに時間をかけてみんなのことを考えたのに、他人が認めてくれないという現実に、嫌気がしたり、寂しかったりします。

一方でいつも自分から動いたり考えたりしなかったり、ずる賢く立ち回ったりする人もいます。

そうすると、どんどん自分はこんなに頑張っているという考えで頭がいっぱいになってしまいます。

ちょうどそんなときに下記の箇所を先生が礼拝で話してくださいました。

21そしてダビデが、あの疲れてダビデについて行くことができずに、ベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところへきた時、彼らは出てきてダビデを迎え、またダビデと共にいる民を迎えた。ダビデは民に近づいてその安否を問うた。 22そのときダビデと共に行った人々のうちで、悪く、かつよこしまな者どもはみな言った、「彼らはわれわれと共に行かなかったのだから、われわれはその人々にわれわれの取りもどしたぶんどり物を分け与えることはできない。ただおのおのにその妻子を与えて、連れて行かせましょう」。 23しかしダビデは言った、「兄弟たちよ、主はわれわれを守って、攻めてきた軍隊をわれわれの手に渡された。その主が賜わったものを、あなたがたはそのようにしてはならない。 24だれがこの事について、あなたがたに聞き従いますか。戦いに下って行った者の分け前と、荷物のかたわらにとどまっていた者の分け前を同様にしなければならない。彼らはひとしく分け前を受けるべきである」。 25この日以来、ダビデはこれをイスラエルの定めとし、おきてとして今日に及んでいる。
サムエル記上30:21-25

アマレク人が街を襲い、ダビデの2人の妻や部下の家族が連れ去られ、財産も奪われてしまいました。

ダビデは主に「略奪した軍隊を追うべきか」と聞くと、主は「追いなさい。あなたは必ず追いついて、確かに救い出すことができるであろう」と答えられた。

こうしてダビデはアマレクの軍隊に追いつき、家族と奪われた財産を取り戻し、さらに羊や牛などの家畜を戦利品として得ることができました。

ダビデは本当に苦しみ、自分ではどうすることもできず、本気で主に委ね、自分の主導権を主に委ねたからこそ、勝利を得ることが出来たのです。

ダビデの軍隊は600人でしたが、実際にアマレクの軍隊を追ったのは400人で、200人は途中で疲れてしまい、直接戦いに参加しませんでした。

すると、戦いに参加した400人は、200人に対して、妻や子供を連れていくがよい、ただし戦利品を与えることはできないと考えました。

命をかけて戦った者と、途中で行けなくなり戦いに参加していない者が、同じく戦利品をもらうことが納得できなかったのです。
この考え方は誰にでもあります。学校でも仕事でも教会ですらこのような考えがあります。
自分の方がよく働いている、動いているのに、他の人は全然やっていない。
そんな考えにわたしも陥っていました。

しかし、神様は、分け前は同じにすべきだとおっしゃっています。
主は行いによってではなく、信仰によって救われるのです。
戦いに勝てたのも、すべて主の恵みによるのです。

このメッセージを聞いて、はっとさせられました。

普段、教会のメッセージでもこのことは繰り返し教えられるにもかかわらず、わたしは、とても傲慢な考え方をしていたことに気が付きました。
主の恵みのもとで、奉仕ができることが喜びであり、他人と比較するものではないと思いました。


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