こんにちは。
最近何となく頭に浮かんでいたことについて、書いていこうと思います。
幸福とは何なのだろう
いきなり抽象的なタイトルですが(笑)、私は、25歳の時に離婚を経験しました。
とても素敵な女性だったのですが、ちょうどその時、仕事の悩みなどもあり、余裕がありませんでした。そのため、喧嘩が多くて、最終的に離婚するに至りました。
現在も独身なのですが、私の友人はもちろんほとんど結婚しています。後輩も結婚して子供がいます。昨年も年の離れた妹が結婚しました。
そうなると、「いつ結婚するんだ」「紹介しようか」「お見合いの話がある」などと声をかけていただけます。
それはそれで、ありがたいことだと感じる一方で、このまま独身で老後になったら、「僕は不幸な人生を歩んでいる」事になってしまうのでしょうか。
幸福に対する価値観が古い
自分にとっての幸福よりも、幸福とはこうあるべきだ、という固定観念や価値観に縛られて、幸福を感じていない人も多いのだと思います。
価値観が固定化されている
現代は、社会時代は成熟しており、あらゆるものが手に入り、便利な時代になったのに、幸福を感じていない人も多いのが現状です。
やはり、幸福の価値観が固定されていて、自分に持っての幸福を追求できていないのではないかと思います。
一人前になるには、マイホームをもって、結婚し、子供ができて、家庭を持つこと。
げど現代では、マイホームもいらないし、独身だっていい。
そう思えれば、多様な生き方が開けてくるし、いろんなことの感じ方も違ってくる。
SNSなどで他人の生活と比較
facebookやInstagramなどSNSができて、他人の生活が簡単に見ることのできる時代になり、他人と比較してしまう傾向も大きいですね。
海外旅行にいったり、おしゃれな料理屋さんで食事した写真などを見ると、妬んだりすることも多くなります。かと言って、多くの人とSNSでつながっていないと不安、寂しいという気持ちにもなります。
幸福を感じる感度を上げる
じゃあどうすればいいのでしょうか。
自分がどういう生き方をしたいか、何をしているときが一番幸せを感じるのかを自分自身に問う必要があります。
他人と一緒ではなく、自分自信を見つめることをまず行わないと始まりません。
幸せはなるものじゃなく、感じるものだ!と歌手の長渕剛さんの歌詞にもありましたが、自分らしい生き方をして、幸せを感じたいです。
多様な生き方を受け入れる
固定観念を打破して、多様な生き方をしてみる。
なかなか難しいかもしれませんが、覚悟を決めて1歩踏み出してみると、案外できるものです。自分を信じて飛び込んでみてもいいのではないでしょうか。
私にとっては、東京へ出てくることも、クリスチャンになったことも大きな1歩でした。
環境をガラリと変えることでしたし、クリスチャンになったことは、まさにこれまでの価値観というか、信仰の部分なので、激変した瞬間でした。
ただ、これによって、現在の自分を受け入れることができました。
こうあるべきだ、こうならないといけないという価値観でいっぱいいっぱいだったのが、新たな価値観を授けていただき、素直に受け入れることができました。
それ以降はとても気持ちも楽になり、それこそ幸せを感じる余裕も少しづつ出てきたかなと思います。
聖書を読んで神様と出会うこと
この記事を読んでいる「まだクリスチャンになっていないひと」は、なかなか真実ことができないかもしれませんが、多くのクリスチャンは神様と出会い、人生が変わったのだと思います。
とくに、悩みがあったり、幸せを感じることができていない方は、教会へ行ってみることをお勧めします。
私が通っている教会は、様々な年齢や、学生から社会人、社長まで幅広いバックグランドの人がいます。共通点は、神様を信じているという1点だけです。
多くの人と出会い、毎週日曜日には礼拝で顔を合わせることによって、また1週間頑張ろうという気持ちになります。
是非興味のある方はお問い合わせください。
東京に出てきて18年目の44歳です。食べ歩きとカメラに興味があります。
仕事は都内の翻訳・ウェブ制作会社で働いています。
キリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けクリスチャンとなりました。
好きな聖書の御言葉:コリント信徒への手紙Ⅰ 10章13節