教会には、老若男女さまざまな人々が集っています。
そこには楽器が得意な人は賛美の時に演奏したり、歌がうまい人はゴスペルや礼拝の時に歌ったり、司会が得意な人は、教会のイベント時にMCを担当して、盛り上げてくれています。
神様からみんなに与えられている賜物
先日教会の先生から「教会で行うイベントのチラシ制作」の依頼がありました。
時間もそれほどなく、仕事を終えてから制作しないといけないので、結構タイトではありましたが、制作を受けました。
デザイン案を3パターン用意しながら、会社に泊まったりして(笑)制作しました。
教会の奉仕活動は様々あり、少し前に先生から奉仕活動に参加しませんかという誘いを受けていました。
ただその時は、「自分にはそれほどの賜物があるのだろうか」という気持にもなり、曖昧な返事をするだけだったのです。
今回チラシ制作はその先生からでした。ちゃんと何が得意かを見ていて下さり、これであればやってくれるだろう、という判断で声をかけてくれたのだと思います。
案の定、私は楽しく取り組むことができ、会社に泊まってまで仕上げました(笑)。
聖書にはこうあります。
1 兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。
2 あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。
3 ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
9 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
11 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
(Ⅰコリント信徒への手紙 12章1節から11節)
まさに神様の導きであり、そこには聖霊の力があるのです。
人それぞれに賜物はある
私もそれほどプラス思考な人間ではないので、「俺はこれが得意だ」と感じることはありませんでした。
けれども教会では、先生や信徒が見ていて下さって、自分でも気が付かない賜物が発見されることがあります。
最初は戸惑うかもしれませんが、自信をつけるには良い場所だと思います。
・礼拝後のお茶会の時に行うちょっとしたゲームで張り切って準備するひと
・みんなの前で話足りプレゼンするのが得意な人
・自分では気が付いていないけど人を思いやる発言が多い人
・はきはきしずぎてちょっと怖いけど、みんなを引っ張ってくれる人
・誰にでも声をかけて、分け隔てなくはなしをしてくれる人
・存在自体がおもしろい人
など
自分には特技がない、賜物なんてないと思っている方も多いと思います。
ただ、神様はちゃんとひとりひとりに与えられています。
教会にきて発見してみてはいかがでしょうか。
東京に出てきて18年目の44歳です。食べ歩きとカメラに興味があります。
仕事は都内の翻訳・ウェブ制作会社で働いています。
キリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けクリスチャンとなりました。
好きな聖書の御言葉:コリント信徒への手紙Ⅰ 10章13節