確信を持って頼る心

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こんにちは。堀本です。
今日は恵みの主日でしたね^^。
皆様にとっても、主なる神様からの憩いの一日であったことを信じ、感謝いたします^^

今日も礼拝、賛美、メッセージ、その他の時間全てが、恵み溢れる一日でした。こうして兄弟姉妹たちとともに、礼拝を捧げられていることにも感謝ですね^^

今日のメッセージの箇所は、マタイによる福音書9:18-26でした。前回、断食そのものが信仰の証であるように捉える昔からある(ファリサイ派的な)教えを、イエス様が厳しく戒められた箇所の続きになります。

今日の箇所では、二人の異なる人物がイエス様に示した信仰について書かれています。それぞれ立場は全く違う二人でしたが、二人とも「この方しかいない」という確信を持って、イエス様に頼った姿が描かれています。

そして、この二人の信仰をみたイエス様は、イエス様自身が人格的に彼らと向き合い、彼らの問題に歩み寄り、(頼まれたからしょうがなくではなく、救いたいという憐れみの心を持って)完全な癒しを与えられている姿が描かれています。

この箇所を通して、僕たちの信仰がどういうものであるべきなのかを、改めて考えるきっかけとなりました。ただ確信を持って、神様を頼る心そのものを、神様は喜ばれるのだなと再認識できました。

また、イエス様は、私たちが何か特別な能力を持っているから愛してくれるのではなく、何も出来ない私たちに、寄り添って一緒に問題について考えてくださる慈しみ深い方であることを再認識し、とても恵まれました^^。

僕たちは、肉体的にはいずれは滅びますが、イエス様によってすでに死に打ち勝たせてくださったことに感謝です。

死の絶望しかなかった僕たちに、御国の希望を与えてくださった神様に感謝して、明日からも遣わされた場所で、隣人に心を込めて仕える僕でありたいものですね^^

また、今日こうしていただいた恵みを、遣わされた場所場所で周りの人々に分け与えていきたいと思います^^

メッセージメモ

マタイによる福音書9:18-26

9:18 イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」
9:19 そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。
9:20 すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。
9:21 「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
9:22 イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。
9:23 イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、
9:24 言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。
9:25 群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。
9:26 このうわさはその地方一帯に広まった。

追記

お茶会の後に、兄弟同士で聖書の箇所を分かち合う時間があるのですが、今日はテモテへの手紙(I)4:6:16について分かち合いました。

分かち合いの中で、礼拝の中で一番大切なものは、(祈りやメッセージ等ではなく)何よりも神様の御言葉そのものであることを知ることができてよかったです。(僕は祈りなのかなと思っていたので、こうして気づきを与えられて感謝ですね^^)

また、ちょっと運動不足解消のため今日は教会から歩いて帰ったのですが、ちょっと回り道をして高円寺、阿佐ヶ谷経由で帰ったところ、なんとこんなお店を見つけてしまいました。

ペンギンカフェ!迷わず入店し、ペンギンラテを頼みました(笑)

こ、これは!あまりに愛くるしすぎて、なかなか飲めませんでした笑。

こんなサプライズをくださった主に感謝です^^


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