マタイによる福音書9:27-31

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こんにちは。堀本です。
今日は恵みの主日。皆様にとっても良き休息の時間であったことを信じます^^

台風の接近もあり、天候が心配ではあったのですが、雨が途中強く降ることがあったくらいで、大きく荒れた天候とはならなかったことに感謝です^^

今日のメッセージの箇所は、マタイによる福音書9:27-31でした。

  • 会堂長(ヤイロ)の娘
  • 出血の止まらない女性

を癒した後、次の救いのために、イエス様がお出かけになられた箇所となっています。

二人の盲人が、叫び声をあげながらイエス様についていった姿と、イエス様がその二人の盲人を家の中に招かれ、「わたしにできると信じるか」という問いかけられた姿が描かれています。この箇所を通して、(救い主、メシアに対する)信仰というものが本来どういうものであるかに光を当てている箇所となります。

当時の「メシア」に対する考え方は、ローマの支配から解放を与えてくれるような、軍事的、政治的な指導者という捉え方が広まっていて、これは聖書の教える本来の「メシア」とは意味のズレが生じていました。

本来聖書の教える「メシア」については、エゼキエル書34:23-24(到来についてはイザヤ書35:5-6)に書かれています。僕たちの人生の中心にいてくださり、僕たちの牧者として人生に導きを与えてくださる、憐れみ深い方であると書かれています。

二人の盲人は、「わたしにできると信じるか」というイエス様の問いかけに対して、「はい、主よ」と迷うことなく、確信を持って応えています。盲人二人には、その信仰によって完全に癒しが与えられました。

僕も、この二人の盲人のように、イエス様ならできるという確信を持って、呼びかけに対して、「はい、主よ!」と応えられる、正しい信仰を持って行きたいなって思いました。

こうして、正しい信仰について、再度考えるきっかけをもらって感謝でした^^。うん、今日もたくさん恵まれました。

今日も変わらずともにいてくださった神様に感謝します^^

メッセージメモ

みことば

マタイによる福音書9:27-31

9:27 イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。
9:28 イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。
9:29 そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、
9:30 二人は目が見えるようになった。イエスは、「このことは、だれにも知らせてはいけない」と彼らに厳しくお命じになった。
9:31 しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた。

エゼキエル書34:23-24

34:23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。

34:24 また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。

追記

今日はオープンチャーチの献金賛美が、Amazing Graceでした。僕は、アンサンブルチームとしてピアノ伴奏をやったのですが、やっぱり本番は緊張します笑。普段伴奏者として伴奏をされている人は、本当にすごいなって思います。

ミスタッチもいくつかあったのですが、そんな時に助けてくれる他の楽器がいるというのはやっぱりいいなって思います。とりあえずは、途中で止まるなどの大きな事故にはならなくてよかった笑。

こうして不完全な僕をも用いてくださった神様に感謝します^^


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