宣教の働き

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こんにちは。堀本です。
今日は恵みの主日でした。皆様にとっても主からの恵みあふれる一日であったことを確信し、感謝します^^

今日のメッセージの箇所はマタイによる福音書9:35-38でした。

みことばの箇所としては、様々な人の癒しを行われた後にあたり、イエス様はこの箇所を通して、「宣教についての動機」を解き明かしてくださっています。

9:35にあるように、イエス様は、

  • 会堂で教え
  • 御国の福音を宣べ伝え
  • ありとあらゆる病気や病を癒された

働きをなされたのですが、この中でも「御国の福音を宣べ伝える(宣教)」の働きを特に大切にされました。

それはなぜかというと、9:36にあるように、イエス様には群衆全体が、「飼い主のいない羊」のようにみえ、そのことを深く憐れまれたからでした。

憐れむ」という日本語を聞くと、

  • 自分よりも下の立場の人を可哀想だと感じること。ただ、どこかで自分とは無関係であるかのように捉えていること

というように感じてしまうのですが、原文にある本来の意味としては「内臓」を意味するようです。つまり、「憐れむ」というのは、「内臓が揺さぶられるような痛みを感じること」ということみたいですね。

つまり、イエス様は、群衆を見て、「自分自身の痛みとして」深く憐れむ気持ちを感じてくださったということになります。

また、自らこうして羊の群れの中に入っていき、深く憐れんでくださいました。「ペトロの手紙(I)2:25」にあるように、イエス様は本当に僕たちの「魂の牧者」ですね^^

9:37に、収穫が多いが、働き手が少ないという箇所があります。

このみことばについて、「働き手が少ないから、僕たちがそのぶん頑張って成果を出さなければならない」というような捉え方をするのは、宣教(伝道)についての誤った認識であることを、ちゃんと理解しておく必要があるとのことでした。

そうではなくて、今は収穫の多い時代であること、また、そんな収穫の多い時代に生きていることを素直に感謝することがとても大切とメッセージされていました。これは僕も本当にそうだなって思います。

タラントンの例えにもあるように、主は「成果がでないから叱られる方」ではなく、「与えられたものを持って、どのようにそれを(感謝を持って、精一杯)用いたのか」を見られる方です。宣教を、心から喜んで行う僕たちでありたいものですね^^

今日のメッセージを聞きながら、宣教(伝道)の働きについて、僕も色々と考えていました。

宣教(伝道)の働きについては、以前はとても苦手意識がありましたし、「僕なんかにできるわけがない」と思っていたのですが、最近はすごく宣教(伝道)というものについてのイメージが変わりました。

何より(以前は想像できなかったことですが)、宣教(伝道)というのはやっていて楽しいなって思うようになりました。こんな風に、喜びを持って宣教(伝道)の働きができることって、本当に主がくださった奇跡だなって思います^^

また、宣教(伝道)の働きは、「自分の頑張りによってするものではない」という言葉の意味も、今になってようやく分かってきました。

遣わされた場所において、「神様への感謝を持って」、隣人を愛し、任されたことを忠実に行うだけでも、充分宣教(伝道)になるのだなと知りました。

実際、遣わされる場所において、僕のことを「面倒見が良いですよね」と言ってくれる人が何人かいたのですが、その理由を聞かれたことがあり、その背景にある神様の愛について話したりする機会があったりしました。それで、結構その人は教会や神様について良い印象を持ってくれたみたいなのですが、こういったことも(小さな働きかもしれませんが)十分宣教(伝道)なのかなって思っています。

また、特に積極的に声をかけたわけでもなく、ランチ等の話の中で雑談をしている中で教会のイベントに興味を持って、教会に足を運んでくださった方もいました。これも僕の力ではなく、ただただ、聖霊様の導きだなって思います^^

これから先も、僕はこの宣教(伝道)という働きについて、主が僕に与えてくださったタラントンに応じて、感謝を持って行っていけたらいいなって思います^^

今日一日も、共にいてくださった神様に感謝します。

メッセージメモ

みことば

マタイによる福音書9:35-38

9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

追記

男子宣教会の人から、老人ホームでのボランティアについてのお誘いを受けました。7年以上続けて行っているボランティアのようなのですが、担い手が高齢になってしまっていて、若い働き手にバトンを繋ぎたいとのことでした。

こうやって長きにわたって続けられていることは、本当に素晴らしいことだと思いますし、僕も力になれることがあれば、力になりたいなって思いました。

教会の信徒の人たちは、本当に心優しい信徒の人ばかりで、素晴らしいですね。本当に尊敬します^^。お話を伺っている中で、なんだかとても心がほっこりしました^^


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