使命・感謝・信頼を持って

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こんにちは、堀本です。
今日は恵みの主日でした。皆様にとっても主からの恵み溢れる一日であったことを信じます^^

今日のメッセージ箇所は「マタイによる福音書10:5-10」でした。

イエス様は夜通し祈られた後、弟子達を派遣するにあたり、弟子達に様々な命令を与えられる箇所になります。

10:5-6を見ると、イエス様が「異邦人、サマリア人」を敬遠し、「イスラエルの民達」を特別扱いしているようにも一見読み取れます。

しかし、当然そういうことではなく、イエス様は異邦人(ローマの百人隊長など)、サマリア人(サマリアの女など)を癒されたことが聖書に書かれています。

それでは、この箇所の言っていることは、「優先順位(まずはイスラエル、次にサマリア、最後に異邦人)」について言っているのかというと、そういうことでもありません。

これは、イスラエルの民達こそ、実は「神様から失われた民」であることを、思い出して欲しいという心によるものでした。

当時のイスラエルの民達は、自分たちは選ばれた民であり、すでに「神の民」であるという思い込みをしていました。そのため、自分たちについては宣教の対象とは思っておらず、自分たちも実は神様から失われた民であるなどとは思ってもいませんでした。(これは、アブラハムの民であり、また、モーセを通して律法をいただいた民として、などの理由によるものだったようです)

このような、失われた羊に対する神様の心こそ、遣わされる使徒たちが持っていなければならないものでした。僕たち自身も、この思いを忘れることなく、遣わされている場所で歩んでいきたいものですね^^

10:7-8に、「行って『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と書かれています。イエス様が、使徒達、また僕たちに願うのは、(何か新しいことを付け加えて行うことではなく)、イエス様の憐れみの心をそのまま(変えることなく)持って、イエス様の働きをそのまま(変えることなく)継続させることにありました。

この箇所を通して、もう一度僕自身の生活を点検しようという気持ちが与えられました。どこかで、「自分なりの方法で」宣教しようとしていた心がないか、もう一度祈りの中で黙想したいなって思います^^

また、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」という御言葉が書かれています。
これは、当時のイスラエルの民たちが持っていたような、「自分たちこそ選ばれた民、特別なものを持っている民」であり、「ただで受けたものではない、何か特別なものを持っていた」という考えについて警鐘を鳴らす意味で言われた言葉でもあったようです。

ローマ信徒への手紙3:23-24」にあるように、僕たちが何か特別なものを持っているからではなく、全て、ただキリスト・イエスの贖いの業によって、無償で僕たちに与えられたものであります。高ぶることなく、感謝を持って、周りの人々にも恵みを分け与えていけるようになりたいなって強く思いました^^

最後に、10:9-10を通して、主への信頼を持つことの大切さ、素晴らしさを教えてくれています。旅に出る際に、何も持たずに出かけるように命じていますが、これは「宣教だけやっていればいい」ということをイエス様は言いたかったわけではなく、「目に見える物(下着や杖など)」に頼るのではなく、真に頼るべきものは「神様」であることを解き明かそうとされた箇所になります。

使徒言行録3:6でのペトロのように、ナザレの人イエス・キリストのみが、病める人々を立ち上がらせる力があることを心から信頼する僕たちでありたいものです。

今日もたくさんの気づきを与えてくださった神様に感謝いたします。明日から、遣わされた場所において、イエス様の働きを継続していきたいと強く思いました。

また、メッセージにあったように、ただで受けた恵みを、惜しまず周りの人々にも与えていきたいなって思います^^

メッセージメモ

みことば

マタイによる福音書10:5-10

10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
10:9 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。
10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。

ローマ信徒への手紙3:23-24

3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

追記

今日は以前行ってきた「江戸殉教地」について、夕方の礼拝中に石井さんと共に少し話をする機会をいただきました。めっちゃ噛みましたが、最近は前に立ってもあまり緊張しなくなりました。イエス様と一緒に壁を一つ乗り越えることができたかも!

主は真に、乗り越えられない試練を与えられない方ですね^^。(コリント信徒への手紙(1)10:13)

また、礼拝後に「いのちのことば社」の人が証をしてくださったのですが、そのあとにおすすめしていた書籍を入手しました。早速読んでみようと思います^^


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