宗教改革記念礼拝

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こんにちは、堀本です。
今日は恵みの主日でした。皆様にとっても良い休息の時間であったことを信じ、感謝いたします^^

今日は「宗教改革記念礼拝」ということで、マルティン・ルターに関するスキットが備えられていました。当時のローマ・カトリック教会では、「善行を行うことこそ、天国に入るための条件」というような考えが一般的になっていて、「神様による贖いによる救い」というものが、どこか置き去りになってしまっていたようです。

そんな中、マルティン・ルターが登場し、「聖書(神様のみことば、福音)に立ち返ることの大切さ」を訴えはじめます。この始まりを記念した日が、宗教改革記念日(10/31)とされているようです。

善行を積むというのは見えやすいものであるので、ついそちらに目を向けてしまうところは、僕もすごくよくわかります。僕自身も、こういった考えが入り込んでいないか、再度点検してみようと思いました。

今日のメッセージ箇所は、「コリント信徒への手紙15:1-10」でした。

当時のコリント教会も、(前述したローマ・カトリック教会同様)様々な問題を抱えていました。(教会の分裂、性的な乱れ、賜物に優劣をつけたりなど)

10:1-2に置いて、まずパウロは「ただ聖書のみを拠り所におくこと」の重要性を語っています。この土台が揺らいでしまうと、信じたことそのものが無駄になってしまうと話しています。

僕自身に目を向けてみると、聖書の良い部分にだけ目を向けて、そこだけ受け入れるような読み方がまだあるなと気づきました。そうではなくて、ただ聖書に書かれているものをそのまま受け止めることが大切だと再認識することができました。

こうして気づきが与えられて感謝です。通読のやり方も、もう一度点検しながら進めようと思います^^

15:3-8に置いては、信仰についての解き明かしが書かれています。もっとも大切なこととしては、「イエス・キリストがなさったこと」であることを忘れてはならないとのことでした。

3節に書かれているように、このもっとも大切なものは「わたしが受けたもの」とパウロは言っています。パウロ自身が何かを行ったからではなく、ただキリストの贖いにより「受けたもの」であるということを、忘れないようにしたいなって思いました。僕たち自身の行いによるものではなく、「受けたもの」であることに、心から感謝ですね^^

15:9-10においては、全ての人が神様の前では平等であることをパウロは語っています。神様の目に特定の選ばれた人が存在するのではなく、僕たち全てが神様から恵みを受けたものであることを感謝します^^

神様の恵みによって、今日の僕があることに、心から感謝いたします。倒れそうな時、立ち上がる力をくださり、どんな時も共にいてくださる神様に出会えて、本当に嬉しいです^^

明日からも、遣わされる場所に置いて、神様から受けた愛をもって、隣人に遣え、与えていきたいなって思います。また、この素晴らしい福音を伝える働きを僕たちに任せてくださった神様にも、心から感謝です^^

メッセージメモ

みことば

コリント信徒への手紙(I)15:1-10

15:1 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
15:2 どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。
15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、
15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

追記

今日はお昼後に分かち合いの時間がありました。自分にとっての偶像(神様に代わるものとして目を向けてしまうもの)となっているもの(もしくは、なってしまう可能性があるものは何か)を、考える機会をいただきました。

一人でいるときに、人は罪を犯しやすいという話は、結構今までもよく聞いてきました。一人の時にやることというのは、自分がそれだけ「心を惹かれている」ものであることでもあるので、それが偶像となってしまう可能性があるということでした。これは確かにそうだなって思いました。

僕自身を振り返ってみると、僕は一人でいる時には、結構自分の趣味に熱中してしまうことが多いなと思いました。これらについても、神様をそっちのけにしてしまうほど熱中してしまわないように注意しようと思いました。

こうして、分かち合いの時間を与えてくださった神様に感謝いたします^^


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