福音そのものに力がある

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こんにちは、堀本です。
今日は恵みの主日でした。皆様にとっても良き休息の時間であったことを信じ、感謝いたします^^

今日のメッセージ箇所は、マタイによる福音書10:11-15でした。この箇所は、遣わす弟子たちに向けたイエス様の具体的な命令が書かれている箇所となります。

まず、11節において、「よく調べなさい」、「とどまりなさい」というみことばがあります。
この箇所を通して、「じっくりと、十分に、福音をのべ伝えることの大切さ」を弟子たち、また僕たちに教えています。

当時の弟子たちは、(人からの賞賛を無意識のうちに求めてしまうなど)人の目に対する弱さがあったことをイエス様は十分に理解されていました。良い待遇によって、場所を変えるのではなく、しっかりその場所にとどまって忍耐強く福音を伝えることの大切さを、この箇所を通して改めて確認することができて感謝でした^^

僕自身も、当時の弟子たちと同じように、やっぱり人の目を意識した行動というのはまだまだありますし、人から認められたり、褒められると、やっぱり嬉しいと感じる弱さがあります。

また、そのような居心地の良さを基準にして場所を変えようとする弱さがあることも知っています。十分注意をして、その場にとどまる忍耐を、主に助けられながらおこなっていけるようにしたいなって思いました!

また、もう一つ注意点として、宣教の働きというのは、「福音を伝える側の力」ではなく、「福音そのものに力がある」ことを、忘れずに覚えて歩むことが本当に大切であると再認識できました。

これは同時に、僕のように非力な存在であっても、その力に関係なく、福音そのものに力があるというのは素晴らしい恵みだなって思いました^^

12節には、「挨拶しなさい」という命令があります。単なる挨拶をしなさいということではなく、「平和があるように」ということが書かれています。

当時のイスラエル民族の間での挨拶は、「シャローム」というものだったようで、これは「神様との間に平和がありますように」という意味を持っていたようです。

以前は断裂されていた神様との関係を、再び取り戻すことができた恵みに再び気づき、この箇所はとても恵まれました^^。この、「神様との間の平和」を与えてくれるものは、唯一福音のみであることを確信します。

14節には、「足の埃を払い落としなさい」とあります。この箇所には、「ふさわしいもの」、「ふさわしくないもの」ということが書かれていますが、これは当然、「その人が何かを持っているから」ということでの分類ではありません。

自分自身に何かがあって、それにより与えられたのではなく、ただ神様から一方的に与えられたことを確信し、感謝できる人」のことを、ここでは「ふさわしい人」という言葉で表しているようです。

僕自身も、気がつくと「自分の能力」により頼み、傲慢になってしまう瞬間がまだまだあることに気づきます。しっかり悔い改めて、一歩一歩変えられて行きたいものです。今日は本当に色々な気づきが与えられて感謝ですね^^

最後に15節において、「福音を信じる恵み」、「信じないことの裁き」はともに永遠に続くことが書かれています。目に見える「ソドムとゴモラ」を襲った悲劇以上に、「信じないことの裁き」はもっと重いことであることを学びました。

福音に力があることを確信し、忍耐を持ってこの喜びの知らせを、今いる場所で撒いていけるような、そんな僕になりたいです。喜びを持って、感謝を持って、謙遜に歩んでいきたいです。

今日は本当に色々な気づきが与えられて感謝でした^^。

明日からも、主からいただいた恵み、使命を持って、遣わされる場所で謙遜に歩んでいけるようにしたいなって思います^^

メッセージメモ

みことば

マタイによる福音書10:11-15

10:11 町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。
10:12 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
10:13 家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
10:14 あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
10:15 はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

追記

今日は以前聖歌隊で一緒だった兄弟、姉妹と久しぶりにお会いすることができて感謝でした^^。二人とも変わりなく、元気そうで感謝ですね。どこにいても主の中で家族であることに感謝いたします^^

また、礼拝後に議会(教会に関することを決める場所)がありました。

その議会後に、隣に座った(よく知っている)信徒の方と話をしていて、その中で着ている服を「こたつの布団みたいでいいですね」と褒めたのですが、その方に失笑されつつ、何やら色々人が集まってきて、その中の一人である執事さんから「褒め方についての講義」を受けました笑。

あったかそうで良いですね」と同義でいったつもりだったのですが、日本語って難しい。。そして奥深いですね!現在も色々な(あれほど文字数が限られた)俳句が生み出されている理由が少しわかったような気がしました^^

ご飯の後は、兄弟と将棋を二局ほど指しました。なかなか強くなってきているので、平手でさす日も近そうです。今から楽しみですね^^

今日一日も、尊い一日をくださった神様に感謝いたします。


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