長崎二日目

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こんにちは、堀本です。
長崎二日目も、朝からめまぐるしい日となりました。

まずは、6時より長崎教会にて早天礼拝に。

家が教会から遠くなってからは、早天に出席することができなくなったため、早天礼拝として祈るのはかなり久しぶりだったこともあるのですが、朝からこうして祈るのはやっぱりいいなって思います。

最近は、一日の終わりに感謝の祈りくらいしかできていないので、もう少し具体的な祈り課題を持って祈る時間を、ちゃんと作っていきたいなって思いました^^

二日目は主に、雲仙・島原周辺をまわってきました。

その前に、まずは大浦天主堂を見学。あいにくの工事中という感じではあったのですが、非常に広く、ステントグラスが綺麗でした。

ここは、別名「日本二十六聖人殉教教会堂」と呼ばれている場所のようで、日本二十六聖人に捧げられた教会堂のようです。この二十六聖人の一人には、14歳の少年だったトマス小崎という人もいたようで、このように幼い年齢であっても、固い信仰を持った人がいたということに、とても驚きました。

と同時に、こんな少年をも手にかける人間の残虐性を垣間見えて、恐ろしさも感じた瞬間でもありました。

こちらの教会堂に隣接する形で、カトリック大浦教会があり、ミサ等はこちらで行われているようです。

こちらを見たのち、雲仙に移動。まずは金山城跡に行ってきました。
なかなか分かりにくい場所にあったのですが、なんとか到着することができて良かったです。

ここはキリシタン武士であった結城弥平次(ゆうきやへいじ)が、有馬晴信の招聘で知行三千石を与えられて入城し、1613年に弾圧によって去るまで、キリスト教の布教活動が続けられたようです。

その後、雲仙地獄に移動。噴気や熱水が噴き出している場所でした。

煙が立ち込める雲仙は、温泉街として知られていて、どことなく大分の別府を感じさせる街並みとなっていました。

当時、禁教令の中で迫害を受けた信徒たちは、この雲仙地獄に連れて来られ、棄教を迫られたようです。

雲仙地獄の熱湯を、死なない程度にかけられたり(その際、傷口をつけてそこに注いだり)、逆さ吊りにされたのち、熱湯の中につけては引き上げを数回繰り返し、棄教を迫ったりしたようです。

あまりにも残虐なやり方であり、これが現実に行われたことだというのが、本当に恐ろしい出来事だと思います。

同じ人間として、こうした残虐性が自分の中にもあるのだろうかなど、いろいろ考えたりする中で、ここからしばらくは気持ちが落ち込んでしまったのを覚えています。(もう、これ以上現実に目を向けたくなくて、長崎からちょっと帰りたいなって思ったりもしました。まだまだ僕は色々な面で弱いですね。。)

カトリック雲仙教会、雲仙キリシタン殉教道に。この辺りは、ちょっといろいろ考え事をしていて、正直うろ覚えです。。

このあと、島原城に移動。この辺りにきて結構気分も落ち着いてきました。
城内の一階が、キリシタン史料館となっていました。

一日目にみたのと同じように、潜伏キリシタンたちが用いていた展示物や、島原の乱についての歴史の紹介がありました。

キリシタン農民が主体となった、大規模な一揆というのは歴史の教科書で読んだ覚えがあるのですが、結果的に3万7千人近くの籠城軍が全て死傷する痛ましい事件となったことを知りました。

市街地に戻り、稲佐山温泉アマンディというところに移動し、温泉に入った後、仮眠室にて宿泊。二日目はここまでとなります。

二日目は、いろいろと残虐な出来事の方に目が行ってしまって、ちょっと気分的に落ち込んでいる時間も長かったのですが、同時にこうして現実に向き合う貴重な機会となったので、振り返ってみるととても良い時間だったなと思います。

たくさんの学びを与えてくださり、また守り導いてくださった神様に、心から感謝いたします^^

メッセージメモ

みことば

エステル記7:7

王は怒って立ち上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出た。ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。王による不幸が決定的になった、と分かったからである。

追記

長崎市街地(中華街)で、ちゃんぽんとハトシを食べてきました。さすがに現地の味ということで、これはとても美味しかったです^^


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