安息日は人のために定められた

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こんにちは、堀本です。
今日は恵みの主日として、主への感謝を表す一日となったことに感謝いたします^^

今日のメッセージ箇所はマタイによる福音書12:1-8でした。
これまでの章において、ファリサイ派の人々のイエス様に対する敵意が高まっていく様子が描かれていました。
今日の箇所も、ファリサイ派の人々がイエス様や弟子たちを非難する様子が描かれています。

今日の箇所を通して、イエス様が伝えたかったメッセージは、次の3点であるということが、
メッセージの中で解き明かされていました。

1、安息日は人間(私たち)のために定められた(12:3-4)
2、神殿よりも偉大なもの(神様の臨在)がここにある(12:5-6)
3、神様が喜ばれるのは、憐れみ(愛)であって、生贄ではない(12:7)

私自身も、日々の歩みの中で、目に見える生贄・儀式など(奉仕や善行なども場合によってはそうなる危険性があるかもと思いました)を、
形だけで(神様への捧げる気持ちを失った状態で)捧げてしまっていないかをよく点検しないとと気づかされました。

何よりも、神様の御心がなんであるのか、分別力をもっともっと養っていきたいなって思います。
みことばと祈りを土台として、日々愛に満ちた神様が近くにいてくださることを忘れず歩んで行きたいなって思います^^

今日一日も、たくさんの気づきをくださった神様に、心から感謝いたします^^

メッセージメモ

みことば

マタイによる福音書12:1-8

12:1 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。
12:2 ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。
12:3 そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。
12:4 神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。
12:5 安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。
12:6 言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。
12:7 もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。
12:8 人の子は安息日の主なのである。」

日々のみことばメモ

追記

今日はホワイトデー企画の話し合いがありました。

全体で話をしながら進めることは、やっぱり難しい面もありますが、一つ一つ前進して確実に形がまとまってきていることに感謝です^^

みんなとても自主的で、また、考えをまとめたり、論理立てて話されていてすごいなって思いました。僕も見習いたいです^^


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