こんにちは、石井です。
最近、仕事において悲しい出来事がありました。
詳細はここに記すことが出来ませんが、それによって、多くの人々が大変迷惑をこうむってしまいました。
クリスチャンとして、信仰生活を送りながら、なぜこのような悲しいことや大変な出来事が起こるのか、神様はなぜこのような苦難を与えるのか、考えることがあります。
神様がいるのに、どうして悲しい出来事が起こるのか
この問いはクリスチャンになったころ、時々思ったことでもあります。
神様がいて、毎日祈りを捧げ、主日には礼拝に参加して、信仰生活を送っているにもかかわらず、我々の周りには、幸せなことばかりではなく、悲しい出来事も起こります。
先日冬季オリンピックが開催されましたが、4年間の苦しい練習に耐えた選手たちが競い合います。
当然勝敗はくっきりと分かれ、金メダルを獲得した選手と、予選で敗退してしまう選手が出ます。この勝敗について、全て神様の意思で行われているのか。負けた選手には神様はついていないのか。
そうではありません。
負けて苦しい時に、神様はちゃんとそばにいてくださり、道を備えてくださっています。
もしかすると、別の道を備えてくださっているかもしれません。
人が苦しい時にこそ、神様は多くの救いと恵みを与えてくださいます。
コヘレトの言葉3章1節
1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
コへレトの言葉3章1節
私は、何か大変な出来事があると、神様は私に対して、何を伝えたいのか、この出来事がにはどのような意味があるのかを考えるようにしています。
そうすると、目の前で起こった事態にあたふたするのではなく、冷静になることができます。
そのうえで、神様は必ず私のそばにいてくださり、道を備えてくださっていると信じているからこそ、前を向くことができるのです。
神であるキリストは多くの人々から苦しみを受け、十字架につけられて死を迎えました。
そんな主なるキリストだからこそ、私たちの苦しみに対して、寄り添ってくださるのです。
コリントⅠ10章13節
13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
神様のこの約束があるからこそ、どんな時でも神様を信じて祈ることが出来るのです。
もし今苦しみの中にいる方がいらっしゃったら、神様に祈りを捧げてみてはいかがでしょうか。きっと心が楽になると思います。
追伸
教会の近くの神田川沿いでは、桜が満開でした。
近所の方々など多くの人がお花見をされていました。
東京に出てきて18年目の44歳です。食べ歩きとカメラに興味があります。
仕事は都内の翻訳・ウェブ制作会社で働いています。
キリスト教プロテスタント教会にて洗礼を受けクリスチャンとなりました。
好きな聖書の御言葉:コリント信徒への手紙Ⅰ 10章13節