神様から離れることについて

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こんにちは、石井です。

今日はとても天気が良く、仕事で東京駅の丸の内側から外へ出ると、修学旅行生がたくさんいました。わたしも遥か昔に岐阜から東京に来たときは、人の多さとビルの高さにびっくりしたことを覚えています。
グループごとに自由行動をして、決められた時間までにホテルへ戻ってこなければいけないのですが、大幅に遅れて先生に叱られた覚えがあります。今となっては先生に大変迷惑と心配をかけたなと反省です。

今日はこんなテーマで書きたいと思います。

神様から離れることについて

先週の主日に聖書勉強をみんなでしていた時に、信仰の波について質問されました。
信仰の波とは、クリスチャンが信じている神様についての信仰が強くなったり、弱くなったりすることです。

信仰が弱くなる原因としては様々ありますが、例えば、毎日お祈りをして、聖書を読み、従順な信仰生活を送っているにもかかわらず、良くないことが起こったりしたときや普段の生活でクリスチャンではない人々を接しているうちに、教会から離れてしまったり、そもそも神様の存在について疑問を持ったりするときです。

そうなると、教会に行くことがつらくなったり、神様に祈りを捧げることが亡くなったり、聖書を読むことがなくなったり、とても思い悩んでしまいます。

私は、幸いなことにまだそこまで悩んだことはありません。

実はクリスチャンとして洗礼を受けるまでの期間は、教会の周りの人に聞いても長い方で、なかなか信じることが出来ませんでした。
しかし、一生懸命神様のすばらしさを教えてくれた人がいて、少しずつ信じることができたんです。

もちろん洗礼を受けた後、神様に救われて幸せな時間ばかりではありませんでした。

しかしそれさえも神様が今の私に必要なものとして、試練として与えているのだなと思うと、とても気持ちが楽になるんです。
これを乗り越えれば、もしかすると恵みが待っているかもしれない、問題が解決できれば、新しい道が開けるかもしれないと思えてくるんです。

しかし、どうしてもつらい時はあります。
そのときは、神様に「つらいです。」と正直に言えばいいかなと思っています。
そうすれば、必ず神様は見ていてくださいます!

もうひとつは、神様の存在について疑問を持ってしまうときもあります。

わたしはそもそも人間が知ることができる範囲は限られていて、イエス・キリストの存在についても歴史的や科学的にどうだこうだということにはあまり関心がありません。

神様は存在していて、わたしを見ていてくださると信じているからです。
信じるまで時間がかかりましたが、今はクリスチャンとして歩んでいます。

以前の記事でも書きましたが、クリスチャンでも信仰の波があります。
試行錯誤しながら、自分の信仰を捨てないで欲しいなと思います。

追伸

今日は午前中からずっと外出でした。
上野にスシローが出来たということだったので、たぶん初めて(?)行ってきました。
ランチの時間は過ぎていたので、すぐに入れましたが、あたりレーンにお寿司はなく、注文がメインでした。
上野は松坂屋に確か金沢から来ている回転すしがあり、人気らしいので、今度はそっちに行って見たいですね。


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